今年の大河ドラマ「光る君へ」が始まり、現代と平安時代との違いに驚いている方も多いのではないでしょうか?
今回は、気になる平安時代の中でも、紫式部の結婚の相手藤原宣考様について紹介していきますね。
紫式部と藤原宣考の出会いから結婚までの運命についてみていきますので、気になる方はお付き合い下さい。
また、紫式部と結婚した貴族の藤原宣考とは、どのような人物なのかも一気に紹介していきます!
紫式部と藤原宣考の出会い
大河ドラマ光る君へでは、すでに相関図で発表されてるのでご存じの方も多いと思いますが、紫式部(大河ドラマ上まひろ)と結婚するのは宣考になります。
宣考は、まひろの父の為時とは同僚でとても仲が良く、ことある度にまひろの家に訪れ仲の良い関係であることが描かれてますよね。
では、2人は実際どのように出会って結婚に至るのか紹介していきます。
- 宣考の求婚と紫式部の応じ方
- 年の差結婚とその理由
- 紫式部と宣考との結婚生活
宣考の求婚と紫式部の応じ方
宣考とまひろの歳の差は、何と20歳離れているというから、驚きですよね。
しかも、すでに3人の前妻に子供もいるわけですから、現代から見ると大変な騒ぎになりそうですね。
親子ほど離れた2人ですが、どのように結婚に至ったのか詳しい資料はなかったですが、宣考はまひろにたくさんの恋文を送ったと言われてます。
しかも宣考は、3人の妻の他にも通う女性も複数いたと言われ、とにかくモテたようです。
その中、まだまひろにも恋文を送るのですから、まひろも惹かれてしましったのかもしれませんね。
年の差結婚とその理由
2人が結婚した理由には、まひろの父親の官職が無くなり生活の為になど、さまざまの憶測で紹介されていますが、実際はどうだったのでしょう。
少なくとも、紫式部は中流階級の家に生まれています。
庶民の生活をしていたわけではないので、そこまで貧しかったとは言えないように思います。
平安時代は現代の常識とは全く違うので、ただ生活のためだけに結婚したのかどうか定かではないかもしれませんね。
このあたりは、今後「光る君へ」でも描かれて行くので、楽しみですね♪
紫式部と宣考との結婚生活
では、2人の結婚生活はどうだったのでしょう?
宣考は他にも家族がいたので同居生活は短かったと言われています。
実際の2人は、とても仲が良く子供にも恵まれ幸せな結婚生活だったと言われています。
2人が交わした文のやりとりが、今でも残されています。
また、宣考の死去後に寂しさから、源氏物語ができたとも言われています。
今後の「光る君へ」を楽しみにしたいと思います。
コメント